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Channel: イタリア料理ほんやく三昧
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ガルガーノ地方の料理

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プーリアのガルガーノ半島の話をしていますが、偶然、次回配本の「総合解説」に、この地方の記事がありました。
それによると、この地方(=フォッジャ県)は、プーリアで一番多くの観光客が訪れる地方。
国立公園でもあります。

そしてガルガーノ料理の基本の食材は、パンなんだそうです。
そういえば、プーリアには美味しいパンがありましたよねえ。
さらに、空豆と柑橘果実。

ガルガーノの名物パンの一つ、パポッシャ。
 ↓


 こちらのページによると、このパンも、ローマのパン屋のピッツァ・ビアンカと同じで、元々は竈の温度を調べるために、台にくっついて残った生地を集めてこね直し、大型のパンを焼く前に焼いていたものなんだそうです。
大型のパンは、1個で一家族の1~2週間分なので、とても大切。
失敗は許されなかったんですね。

中を空洞にして薄いパンを焼く製法は、サルデーニャのカルタ・ダ・ムジカことパーネ・カラザウと同じですね。
パーネ・カラザウよりは厚めのようです。
見るからに芳ばしそうなパンですねえ。
生ハムやオリーブオイルとの相性もよさそう。


次は、ガルガーノ地方のヴィエステの料理を紹介する動画です。
 
 ↓


メニューは、

・アンチョビのフリットのマリネ
・ブルスケッタ・ビアンカ
・ムール貝の卵とチーズ風味
・アンチョビとかぶ
・お米とじゃがいものアッラカナーテ(ティエッラ)
・カリフラワーのオレッキエッテ
・コウイカのトゥルッコリ
・野菜のソッフリットとパンのクロストーニ
・コウイカの田舎風
・サバのフィノッキエット・セルヴァティコ風味
・なすのリピエーネ
・肉とじゃがいものアッラカナーテ
・パプリカとトマトのロースト
・玉ねぎのオーブン焼き
・トマトときゅうりのサラダ


見事な地中海料理のオンパレード。

イタリア料理は、都市の周辺の農村や漁村などで地産の旬の食材を活かした料理が作られ、それが都会に伝わって洗練された一品に徐々に姿を変えていく、というパターンが多いですよね。
特に、ローマのように、町が大都会になればなるほど、変化が大きくなります。
一方で、プーリアの料理は、ほとんど変化がなさそうですねえ。
お百姓さんの家庭料理が、今でも町中に見事なまでに普及しています。

特別でも高級でもなんでもない日常の食材を、いかに美味しく食べるか。
プーリアの人には、そういうことを工夫する才能がありそう。

まだまだ美味しそうな話はたくさんありますが、詳しくは、次号が発売してからのお楽しみと言うことで、今日はここまで。





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関連記事“プーリアの魚料理巡り”の記事は、「総合解説」2011年6月号に載っています。

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プーリアの地理

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プーリアの話です。

プーリアの地理をざっとチェック。

自然のままの森と断崖絶壁のガルガーノ
 ↓
 
Gargano Coast from Torre Gatterella


このガルガーノ半島の付け根には、南イタリアで最も広い平野、タヴォリエーレが広がってます。
ここは別名、イタリアの穀倉地帯。
平野の大部分が広大な小麦畑です。
プーリアの農業の特徴が、大規模農業であることを思い出します。
 ↓
distesa di grano

reporting strong wind


ガルガーノもタヴォリエーレもフォッジャ県です。
タヴォリエーレが海に浸れば、こんな風景になるかも。
これはガルガーノ半島の海岸
 ↓
Mar Adriatico from Gargano Coast


ガルガーノ半島が干上がると、こんな風景になるかも。
次は、プーリア中部、タヴォリエーレ平野の南に広がる石灰岩の高原地帯、ムルジャ。
アルベロベッロやマテーラで知られる地方ですね。
 ↓
Murgia


ムルジャ地方でも、アドリア海に面した海沿いは、豊かな漁場。
こちらは、南イタリアでも最大クラスの漁獲高を誇る、町、モルフェッタ。
ムルジャと海の間には、オリーブの産地としても知られるテッラ・ディ・バーリと呼ばれる地方がはさまっています。
 ↓
MOLFETTA - Italie



さらに南に下ると、両側がイオニア海とアドリア海という、海の真ん中の半島、サレント。

salento. dolce e salato


海、石灰岩、小麦、オリーブ・・・。
魅力の尽きない州です。
次はこの中から、魚料理で有名な町をピックアップ、の予定。


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関連記事“プーリアの魚料理巡り”の記事は、「総合解説」2011年6月号に載っています。

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バーリ県の港町

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今日はプーリアの漁師町。
まず、バーリ県のモルフェッタMolfetta。

Porto Molfetta


Molfetta (BA), 1979.


モルフェッタ
 ↓


 
名物料理は貝類(ウニ、ムール貝、牡蠣、ホタテ貝など)、生魚、ズッパ・ディ・ペッシェのチャンボッ
ciambotta。
チャンボッタは野菜版が有名ですが、プーリアには魚版もあります。


次は同じくバーリ県のポリニャーノ・ア・マーレPolignano a Mare。
洞窟が有名。
「手作りジェラートと新鮮な魚のアックア・パッツァやフリットが好きな人には外せない町、魚料理の本場」(by 『クチーナ・エ・ヴィーニ』)

Polignano a Mare


ポリニャーノ・ア・マーレ
 ↓



洞窟のホテル・レストラン・グロッタ・パラッツェーゼ。
 ↓


webページはこちら


次はモノーポリMonopoli。

Monopoli


Fresh fish in the market Monopoli 14th sept 2005


ARC Monopoli Market

モノーポリ
 ↓


この町の有名レストランはコッカーロ・ビーチ・クラブ。
webページはこちら


 
 

こちらは同クラブのスシバー。 地中海のネタはダイナミック(汗)。




いいなあ。
プーリアに遊びに行きたいなあ。


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関連記事“プーリアの魚料理巡り”の記事は、「総合解説」2011年6月号に載っています。

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恒例花火と日の出

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皆様、どのような年越しをされたのでしょうか。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、今年も恒例、ナポリの年越し花火の映像から。
今年も景気よくやってますねえ。
 ↓



去年からのこのブログのお題は、プーリアの魚料理が美味しい町。
知名度は低くても、プーリアは、魚が美味しくて、野菜が美味しくて、柑橘フルーツが美味しくて、小麦とオリーブの一大産地で、個性的な手打ちパスタがあってと、イタリアの地中海料理のエッセンスがぎゅっと詰まっています。

ところで、イタリアで一番東にあるの町は、プーリアのオトラント。
イタリアで一番最初に太陽が昇るのはこの町、と言うわけで、今年の1月1日のオトラントの朝。
 ↓




ちなみにこちらは、その数時間前、同じオトラントの年越しのイベント。

みんな元気ですね。
さあ、新たな気持ちでスタートです。
今年も美味しいものと出会えますように。



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空豆とチコーリア

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今日は、プーリア料理を代表する一品、空豆とチコーリア。
地味な食材からは想像できないくらい、プーリアの野菜とオリーブオイルの美味しさを発見できる料理です。


fave e cicoria

テラコッタの鍋でゆでると、チコーリアも乾燥空豆も、すごく美味しそう。
オイルポットも、カッコイイ~。

チコーリアの芯は、どこかで見たような・・・。
そう、プンタレッレですねえ。
調味はオリーブオイル、塩、こしょうのみ。
空豆と一緒にじゃがいもをゆでるバージョンもあります。
ここではミキサーを使ってますが、かき混ぜるだけでも崩れてピューレになります。
出来上がりと味のイメージは、春菊の白和えのよう。
 ↓



この素朴な料理を、レストランではどうアレンジしているのか。
空豆にはじゃがいもと玉ねぎをプラス。
チコーリアは塩ゆでしてからオリーブオイルで炒めます。
ここから一工夫。
まず、アルミのカップを薄くスライスしてトーストしたパーネ・ディ・アルタムーラで覆います。
ここにチコーリアとモッツァレッラを詰め、パルミジャーノを散らしてオーブンへ。
モッツァレッラもパンもプーリア自慢の食材。
これを空豆のピューレの上に盛り付ければ、なるほど立派なレストランの一品に!




チコーリア・セルヴァティカ。
 ↓
 
 
それにしてもプーリアの乾燥空豆は、どうしてこんなに美味しいんでしょう。 
 
 

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関連雑誌;『ヴィェ・デル・グスト』2011年7月号、空豆とチコーリアのリチェッタを含む“ガエータ”の記事は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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パンコット

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プーリア料理の話、今回は、もうすぐ発売予定の「総合解説」から、“パンコット”。
これは前回紹介したチコーリアと空豆の応用版といも言える料理で、トスカーナの有名なパッパのプーリア版。

古くなったパンとじゃがいも入り野菜スープという、典型的な農家の料理です。
イタリア各地にあります。

ガルガーノ半島のマッティナータのパンコットの食事。
サボテンの皮をむく手つきも慣れてますねえ。
でも、棘が怖いのか、なせか腰が引けてます。
薪で煮た山盛りスープに、赤ワインで乾杯~。




マッティナータでは、パンコット祭りも行われるんですね。
このTVのレポート、好奇心旺盛な町の人に囲まれて、まるでベニーニの映画みたい。







レポートの続きはこちら
陽気に踊る住民たちの間にヤギ乳のリコッタや、歌いながら打つパスタとかが紹介されています。
ライフ・イズ・ビューティフルって言いたくなるなあ。

リチェッタは色々ありますが、ベースは、シンプルに野菜を水で煮て塩で調味したスープをパンにかけ、仕上げにオリーブオイルをかけるだけ。




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2011年7月号、パンコットのリチェッタを含む記事「ガルガーノ」は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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マグロとカタクチイワシ

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年の初めに、築地では、何やらすごい記録が誕生しましたよね。
初セリで、クロマグロの市場最高値更新ですか。
1億5540万円。

同じくクロマグロ漁の伝統があるイタリアへも、当然、このニュースは伝わりました。
喜代村の木村社長のこんな言葉とともに。

『Un prezzo leggermente caro, ma spero che possa essere un incoraggiamento perché il Giappone continui a rifornirsi di ottimo tonno』
(こちらのページから引用)
「やや高いですが、日本を元気にするためにも、最高においしいマグロを日本の人たちに食べてもらいたくて 奮発した」

落札が香港のすしチェーンとの一騎打ちになったかことから、ナショナリズム的に頑張ったという分析もしっかり紹介されていました。
なんと巷では、セリの前から1億超すという予想があっなんて、知らなかった~。

マグロの数が激減して、漁獲高の割り当て会議のたびに大騒ぎになる世界のクロマグロ業界ですが、イタリアのマグロ漁師さんの数も減少の一途。
築地の値段に、よーし、頑張ろうと思ったサルデーニャやシチリアの漁師さんたちもいるのでは。
そのうち、地中海産巨大マグロが築地の初セリを賑わす時代がやってくるかも。

かつてのマグロ漁、トンナーラで水揚げされたマグロ。
築地のマグロが小さく見えます。




マグロ漁と言えば、『ヴィエ・デル・グスト』2011年7月号に、偶然、興味深い記事がありました。

アンチョビの魚醤“コラトゥーラ”で知られるアマルフィ海岸の町、チェターラの話です。

チェターラのコラトゥーラ




実はこの街は、ちょっと前までは、マグロ漁が産業の中心の街でした。
ところが、年々マグロが減り続け、とうとう、2011年にマグロ漁に出た船は、わずか5隻だったそうですよ。
これは経済的に大打撃。
なんとかせにゃーいかん、というわけで、代打に立たされたのが、アンチョビ!
カタクチイワシです。
記事によると、アンチョビ製品と伝統料理業界で、職人たちが総出で美食文化プロジェクトを企画して、世界中からグルメが集まるようになり、マグロ漁の落ち込み分は、完璧にカバーされているのだそうです。
素晴らしい!
ていうか、チェターラのカタクチイワシはクロマグロを超えたのか!
1匹10円以下のカタクチイワシも、やり方次第では1匹1億のマグロに匹敵するんだね。


そういえば、去年の暮れごろ、カリスマ投資家のジム・ロジャーズ氏が、ロブスタ種のコーヒー先物の取引が、2倍近くに膨らむ、つまり、今年はアラビカよりロブスタ、という予想を立てた、ということがニュースになって世界を駆け巡っていました。
去年ブログで、コーヒーは石油に次いで第2位の世界的規模の大市場を持つ商品、という話をしましたが、そのうち、カタクチイワシの話がカリスマ投資家の口から出てくることもあるかも。
そういえば、小麦の品種改良でノーベル平和賞、という話もしたっけ。
まさに、「1粒の麦」ですなあ。



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関連雑誌;『ヴィェ・デル・グスト』2011年7月号、“チェターラ”の記事は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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カンポフィローネのマッケロンチーニ祭

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「総合解説」2011年7月号の販売を開始しました。
最初の記事は、“マッケロンチーニ・ディ・カンポフィローネ”です。

こんなパスタ。  アップで。  マッケロンチーニのカルボナーラ



カンポフィローネはマルケ州フェルモ県のはしっこにある海に近い町です。
海には近いけど、標高は約200mあります。
町の主な産業はマッケロンチーニ作り。
おそらく、この町で一番国際的に有名な物なんでしょうねえ。
毎年8月最初の週末に、マッケロンチーニ祭りが開かれます。

2011年のsagra。
00:40頃、真っ白いシャツにズボン、真っ白いエプロン、真っ白いテーブルクロスで、真っ赤なトマトソースのロングパスタを食べてますよー。
イタリア人にしかできないちょいキザで挑発的なファッションセンスですねえ。
素人なら、食べ終わることろには全身真っ赤なシミだらけですよ。
食べ方もお見事。
フォークにたっぷり巻きつけて、前を向いてガバッと口を開けてパクッと食べる。
ズズッと吸い込まず、途中で噛み切ってボトッと皿に落とさない。
台の上でパスタとソースをあえるのも初めて見ました、あ、鉄板焼きの焼きそばと同じか。
真っ赤なトマトソースの極細麺とフライドポテトの組み合わせ、美味しそう。
 ↓


この軟質小麦粉と卵のパスタについては、以前にもブログで取り上げたことがあります。
こちら
ふーん、こんな由来があるんだあ(すっかり忘れてた)。

それでは、今回の記事ではどんなことが新たに分かったかと言うと、マッケロンチーニという名前が、イタリア人にとっても違和感があるものだとうこと。
マッケロンチーニはマッケローニの縮小形です。
マッケローニは、穴あきショートパスタ、いわゆるマカロニのこと。
なぜ、穴もないロングパスタにこの名前?

その答えは次回です。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年7月号、“マッケロンチーニ・ディ・カンポフィローネ”の解説は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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マッケローニ

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マッケロンチーニ・ディ・カンポフィローネは、ロングパスタなのに、なぜ“マカロニ”なのか。

マカロニと言えば、アメリカでは国民食的大人気料理、マカロニ&チーズ。
3代大統領トマス・ジェファーソンゆかりの料理。
詳細はこちらに。
 ↓




スパゲッティやタリアテッレタイプの麺なのにマッケローニという名前で呼ばれるケース
は、イタリア各地にあります。
たとえば、“マッケローニ・アッラ・キタッラ”などがその一例。
ただ、この件はイタリア料理界でも色々な議論があるようです。
そもそもマッケローニという言葉の語源さえ、特定されていません。

いわゆるマカロニは、ダイスで作る典型的なショートパスタ。
つまり工場で大量生産されるパスタです。
それ故に、世界中に広まって、イタリアの麺の代名詞として使われました。
日本には、イタリア製西部劇を意味する「マカロニ・ウエスタン」という言葉もありますよね。
wikiによると(こちらのページ)、実はこれ、淀川長治さんが考え出した和製英語なんだそうですからビックリ。

でも、そう考えると、マカロニは比較的歴史の浅い言葉。

一方、カンポフィローネのマッケロンチーニには、15世紀の記録も残っています。
“マカロニは穴あきショートパスタのこと”、というイメージは、ひょっとしたら外国からの逆輸入?

ともかく、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』では、今回は、
「トスカーナでパスタ・シュッタ全般をマッケローニと呼ぶ習慣があったので、それをまねたのだろう」
と推察しています。
パスタ・シュッタとは、スプーンで食べる麺料理(カッペッレッティ・イン・ブロードなど)以外の、フォークで食べる麺料理です。
トスカーナに丸投げかい、と突っ込みたくなりましたが、マルケ料理を調べていたはずが、いつのまにかトスカーナ料理を調べなきゃならなくなってますよー、これ。

まあ、こちらのページによると、
「パスタ職人という職業がイタリアで確立していったのが16世紀後半で、中でもトスカーナは、すでに14世紀にはパスタ職人の組合ができていた」
だそうですから、大先輩トスカーナの習慣をマルケの小さな村が無条件で受け入れたのも、大いに納得。

というわけで、またまた真相は歴史の深い闇の中、なのでした。

マッケロンチーニ・ディ・カンポフィローニ。
伝統的な定番ソースは、ホールトマト、子牛、豚肉、鶏肉のラグー。
 ↓



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年7月号、“マッケロンチーニのラグーがけ”のリチェッタを含む「マッケロンチーニ・ディ・カンポフィローネ」の記事は「総合解説」2011年7月号に載っています。)

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道具を使うパスタ

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今日は、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事、“道具を使うパスタ、その2”に登場するパスタの動画を集めてみました。


まずはレッコのレストランのコルゼッティ
 ↓



そして型を使わないコルゼッティ・アッラ・ポルチェヴェラスカはこちら

パスタのアップ

型を使わなくても、こんなに個性的なパスタができる!


次はマッケローニ・アル・フェッロ。
 ↓




マッケローニ・アル・フェッロ・アットルチャーティ(フジッリ)はこちら

 
 
マッロレッドゥスは以前のブログにあります。

 
 
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』「道具を使うパスタ、その2」の記事の解説は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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なすのベッカフィーコ風

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今日は『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説。

質問です。
ベッカフィーコ、パルミジャーナ、カポナータ。
これ、なんの料理でしょうか。
答えは、なすです。

サレルノの市場の風景
 ↓
IMG_6766


なすは南イタリア料理には欠かせない野菜ですが、原産地はインド方面。
ヨーロッパに伝わったのは中世の頃と比較的遅いですが、珍しく新大陸原産ではないんですね。

イタリアのなすは、細長いタイプと丸いタイプの2種類があって、細長いタイプは使う前に粗塩を散らして2時間ぐらいアク抜きをします。
丸いタイプはアク抜きの必要はありません。


さて、冒頭に掲げたナス料理ですが、まずはベッカフィーコ。
これは以前、取り上げたことがあります。
こちらのページ

この料理は、ベッカフィーコという、熟したいちじくだけを食べる野鳥を使った、シチリアの貴族料理を、小鳥の代わりにイワシを使って庶民が再現したものですが、小鳥の代わりのイワシを、さらになすで代用したという農民バージョンが、なすのベッカフィーコです。
イワシのベッカフィーコはシチリアの東と西ではリチェッタが違って、巻くタイプとはさむタイプがありますが、なすのベッカフィーコもそうです。

“グランデ・クチーナ・レジョナーレ・イタリアーナ”シリーズの」『シチリア』から、リチェッタをどうぞ。

なすのベッカフィーコ風 Melanzane a beccafico
材料:
 なす・・2個
 イタリアンパセリ・・1本
 バジリコ・・1本
 パン粉・・150g
 レーズン・・50g
 松の実・・50g
 おろしたペコリーノ
 ローリエ・・4枚
 EVオリーブオイル
 塩、こしょう

・なすは厚さ1㎝の輪切りにしてざるに入れ、塩をたっぷり散らして1時間アクを出す。
・イタリアンパセリとバジリコのみじん切り、パン粉(大さじ1は別にする)、ぬるま湯で戻して絞ったレーズン、松の実、ペコリーノ大さじ2、塩、こしょうを混ぜる。
・なすはさっと洗って水けをふきとり、混ぜた詰め物を大さじ1ずつのせて巻く。
・オーブン皿に油をたっぷり塗り、巻いたなすを入れてローリエのみじん切りと残しておいたパン粉を散らす。油をまわしかけ、200度のオーブンで10分焼く。
 


詰め物はレーズン、松の実、ペコリーノと、シチリアの香り満載ですね。
イワシのベッカフィーコより、ややリッチな詰め物のようです。
アンチョビや卵を加えたり、玉ねぎのソッフリットを加えるリチェッタもあります。
はさむタイプは油で揚げます。
このタイプのリチェッタと写真はこちら
なすを縦にスライスするので、形はコロッケそっくり。




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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2011年7月号、記事“なすの新家庭料理”のリチェッタは、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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なすの名前の由来

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なすの話ですが、イタリア語でなすは?
そう、メランザーネですね。
melanzane。
なんでも、原産地であるインドのサンスクリットの言葉、vatignanaが語源で、これがアラビア語のbadnjanになり、アラブから地中海世界に伝わって、スペインではalberengenaになり、フランスではaubergineになり、イタリアではmelanzaneになったのでした。


イタリアに伝わったのは日本よりずっと後。
イタリア語のmelanzaneは、mela insana「狂ったりんご」という言葉に発音が近く、生のなすに含まれるソラニンによる軽い苦みがあることなどから、伝わった当初は大衆からは常に不信感を抱かれました。

ちなみに、なすはなす科なす属の植物ですが、学名はSolanaceae solanumで、どんだけソラニンが怖かったんですかねえ。
同じ属の他の植物、トマトやじゃがいもにもソラニンはあります。

そうそう、英語でなすは?
eggplantエッグプラント。
卵の樹?

Eggplants-9902


なるほど、こう見えていたのか。
 ↓
EGGPLANT ?


なすは一品だけで調理しても美味しいし、組み合わせる相手を選ばず、どんな食材とも相性が良い万能野菜ですよね。

今日のなす料理は、『パルミジャーナ・イン・ビアンコ』。
パルミジャーナは定番なす料理の一つ。

パルミジャーナと言う名前でも、パルマ料理ではありません。
しかも、パルミジャーノ・レッジャーノを使っているからこう呼ばれるわけでもない。
料理名や発祥地についてはあいまいなことしかわかっていない不思議な料理ですが、今では赤いトマトソースの色と、揚げて中はトロリ、外は芳ばしいなす、モッツァレッラなどのフレッシュで濃厚なチーズ、新鮮なバジリコ、の組み合わせが、典型的な地中海料理のイメージとなって広まっています。
 ↓
Parmigiana di melanzane




イン・ビアンコは、白いパルミジャーノという意味。
トマトソースが入りません。
それだけでもかなり印象が変わります。
こんな料理

赤いパルミジャーナより簡単にできますが、見栄えの派手さは今ひとつ。
表面にいかに美しくこんがりと美味しそうな焼き色を付けるかが、この料理のポイントかも。

パルミジャーナは、バリエーションがとても豊富。
なす以外の野菜でも、作ることができるし、ベシャメルを使う、ハムを入れるなど、作る人のアイデア次第で色々な料理に発展しますね。
 

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関連雑誌;『ガンベロ・ロッソ』2011年7月号、“パルミジャーナ・ビアンコ”のリチェッタを含む“なすの新家庭料理”の記事は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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2代目が頑張ってるレストラン

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今日は『ア・ターヴォラ』の記事から、2軒のレストランのご紹介。
まずはボローニャ県サッソ・マルコーニのリストランテ・マルコーニ。
シェフは2代目のアウローラ・マッズッケッリさん。
 ↓



店のwebページはこちら
伝統とは変えるものと考える注目の革新派シェフです。
ボローニャ県にありながら、魚料理が売り。
ちなみに、総合解説で紹介している“コウイカのニョッキ”に使われるヴェネトの潟特産の小コウイカの“ゾトリ”ですが、
こんなイカです(写真の左半分。右半分は“スピッロ”という小ヤリイカ)。

なんと、シェフのPVまでありました。
こちら


次は、お馴染み、ドン・アルフォンソ。
こちらはお孫さんまで紹介するようになったんですねえ。
未来の3世代目、アルフォンソちゃんもチラッと登場するTV番組はこちら
52分の長編。
移民だった祖父が故郷に戻ったことから始まるレストランも、今や一種の複合企業。イアッカリーノ一族の、まさに、王朝の歴史。

厨房の様子。
若者たちが大勢頑張ってますなあ。







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関連誌;『ア・ターヴォラ』2011年7月号、“ドン・アルフォンソ”と“マルコーニ”のリチェッタを含む記事の解説は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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愛の村、ヴィーコ・デル・ガルガーノ

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今日はバレンタインデーの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事、“ガルガーノ”の解説です。

プーリアのガルガーノには、毎年、2月14日になると盛り上がる場所があります。
フォッジャ県のヴィーコ・デル・ガルガーノVico del Garganoという所です。
実はこの町、イタリアでもっとも美しい集落と言われていて、さらに別名、愛の村paese dell'amoreなんだって。
しかも、“キスの小路vicolo del bacio”という幅50㎝に満たない路地があって、ヴァレンタインデーには恋人たちのメッカになるんですって。
いや~、書いているだけで恥ずかしくなりますねえ。
さすがはイタリアですねえ。

まあ、要はですね、この村の守護聖人が、聖ヴァレンティーノなんですよ。
で、この聖人、実は、柑橘果実の守護聖人でもあるんだそうです。
この聖人に祝福されたオレンジを食べてその果汁を飲むと、願いがかなうんだって。
チョコ縛りはないけど、柑橘果実縛りかあ。


2011年のヴィーコ・デル・ガルガーノの2月14日。
祭壇や町中がレモンやオレンジで飾られてますねえ。
 ↓


キスの小道は0:30あたりに出てきます。
 ↓


この地方の名物の一つは、レモン。
フェンミネッロ・デル・ガルガーノ・IGPという品種。
そしてこのレモンから作ったお酒はリモンチーノ。
リモンチェッロはカンバーニア以外ではリモンチーノと呼ばれているんですね。

2011.10.18 - Amman


ヴィーコ・デル・ガルガーノの名物パン。
 ↓
こちらの動画

カルタ・ダ・ムジカと原理は同じで、膨らませて中を空洞にして半分に切るタイプ。
パンはプーリア料理の基本中の基本。
美味しいに違いない!
行く機会があったら、食べとかないとね。




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2011年7月号、“ガルガーノ”の記事は「総合解説」2011年7月号に載っています。

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ガエータ

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きょうはオリーブにゆかりの街、ガエータの話。
『ラ・クーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

イタリア料理の世界では、ガエータと言えばオリーブですが、実は、ここは漁師町です。
しかも、記事によると、ガエータに昔からあるオリーブの樹は1本しかないんだって。

ガエータのオリーブのレモンタイムとオレンジ風味
紫色で、主に塩水漬けにします。
  ↓
Olive di Gaeta al timo limone e arancia


いいサスペンスドラマが撮れそうでんなあ。

Gaeta Sea Storm

Gaeta Sea Storm

Gaeta di notte



ナポリから80㎞、ローマから120㎞の、海に突き出した半島の上の都市、という戦略的ポイントと、守りが硬い地形のせいで、歴史上、あちこちから狙われました。
現在も軍港で、アメリカ軍がいます。
この地理的条件のおかげで、この町の歴史は、ちょっと複雑です。

ローマの力が強い時は、その七光りで栄えました。
ローマが没落すると、度々侵略を受けたせいで、町はますます守りを硬くして要塞化していきます。
一時は海洋共和国として自治も手にしましたが、結局はナポリも支配するシチリア王の支配下に落ち着きます。
この時代、国は栄えて、名物だったオリーブは広く輸出され、ガエータのオリーブの名前が各地に知れ渡りました。
ところが、ローマで教皇の力が増すと、教会とシチリア王国のはざまで、あっちについたり、こっちについたりと、胃が痛くなるような日々が始まります。

1734年、ガエータはブルボン家のナポリ王国のカルロ3世に攻め込まれて陥落します。
1848年には、イタリア統一運動下の政情不安から、教皇がブルボン家に助けを求めてローマから逃げてきます。
ガエータは、ブルボン家の最後の砦になっていました。
1861年11月、今度は、シチリア王国の最後の王様、ブルボン家のフランチェスコ2世がガエータに逃げてきます。
イタリア統一のまさにクライマックスです。
サルデーニャ軍とガリバルディ軍に追い詰められて、シチリア王国は必死の抵抗を試みました。
歴史上、“ガエータの包囲”と呼ばれるものです。
籠城戦ですね。
籠城は1861年2月まで続きました。
降伏と同時に、両シチリア王国は消滅です。
ガエータは、一つの王国の終焉の地となったのでした。

2011年2月15日に行われたガエータ包囲の再現。
  ↓



この包囲戦のことは詳細に伝わっているようです。
籠城中の1860年のクリスマス、ガエータには雪が降りました。
寒い冬だったんです。
この冬を生き延びるために、ガエータのオリーブの樹は、全部切り倒されたんだそうです。
ところが、ガエータ包囲の後、オリーブは収穫するまでに何年もかかるので、もっとすぐに利益の出る木に植え替えられてしまいました。


ガエータのオリーブの話は、以前、取り上げたことがあります。
こちらです。

そもそも、ガエータのオリーブは、イトラーナ・オリーブと呼ばれているように、ガエータの隣のイートリで栽培されています。

で、記事によると、ガエータで、ただ1本だけ生き残ったオリーブの樹があるというじゃないですか。
ちょっとうさんくさいけど、次回はその話。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年7月号、“ガエータ”の記事は「総合解説」2011年7月号に載っています。

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ガエータのティエッラとフェルディナンド4世

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ガエータのオリーブの話の続きです。

『ラ・クチーナ・イタリアーナ』によると、1860年の冬、ガエータのオリーブの樹は、ディ・ルッソ家の農場のただ1本を除いて、すべて切り倒されてしまったんだそうです。

ところが、こちらのサイトによると、第二次大戦中にドイツ軍に占領された際の冬にも、オリーブの樹が切り倒されたそうです。
ということは、80年後に、すでに切り倒したくなるくらい太いオリーブの樹があったということですね。
1860年の話は、やっぱりちょっと胡散くさいかも。
あれ、このサイトのガエータのオリーブの歴史を書いている人、コズモ・ディ・ルッソさんだって。
なんと、ディ・ルッソ農場の人じゃないですか。
ネット上には、あちこちにこの人が発表したと思われるガエータのオリーブの話がupされています。
どうやら、本当にこの人しか、今やガエータのオリーブを語る人はいないのかも。
まあ正確には、ガエータのオリーブの実態は、隣のイートリのオリーブなので、ガエータでオリーブを本格的に栽培しているのが彼だけでも不思議はないか。
ディ・ルッソ氏
 ↓
 




記事の中でも紹介されているガエータ料理、ティエッラは、ガエータで一番有名な郷土料理。
いろんな具を詰めるトルタ・サラータで、別名、ガエータのピッツァ。
 ↓
 
 



この料理は、漁師や農夫の奥さんが、早朝に海や畑に出かけるご亭主のために作った料理が元で、冷めても美味しくて日持ちして、ナイフやフォークがいらない、という特徴があります。
今で言うストリートフードですね。

ナポリ王で両シチリア王の、フェルディナンド4世の好物だったことでも知られています。
彼は、膨大な権力を握っている割には庶民派で憎めないボケ体質で、生地の中に魚と野菜が詰まったこのトルタを食べて、「プリーモとセコンドとテルツォやあ~」という迷コメントを残したことが、都市伝説となって伝わっています。
出典はこちらのページ

ちなみに彼は、奥さんから当時大流行していたヴェルミチェッリを手づかみで食べるのは下品だと言われて、フォークを使う習慣を広めるきっかけになった人物ですね。
それまでは、フォークの歯は2~3本だったんですねー。
確かに、これじゃスパゲッティは食べにくい。
だから、手づかみで食べていたんですね。
意外と最近ですねえ、フォークの歯が4本になったのは。

ティエッラのリチェッタは次回に。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年7月号、グルメ紀行“ガエータ”の記事は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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ガエータのティエッラ

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ガエータのティエッラの話、続けます。
ティエッラはプーリアの料理が有名ですが、“ガエータの”ティエーラとはまったく別。
そもそも、これらの料理の名前は、ティエッラtiellaという浅鍋から取ったもの。

ガエータのティエッラ
 ↓
DOL


プーリアのムール貝とじゃがいものティェッラ
 ↓
Tiella di cozze


ガエータのティエッラは、“ピアット・ウニコ”と呼ばれるタイプの料理で、炭水化物、野菜(スカローラ、ほうれん草、ズッキーニ、玉ねぎ、トマト)や魚(主にバッカラ、タコ、イカ、アンチョビ)、肉(ハム、生ハム、卵、サルシチャ、チーズ)が全部入った料理。
炭水化物はパン生地です。
具は様々。
フェルディナンド四世いわく、“primo, secondo e terzo!”ですよ。

タコのティエッラ
 ↓
tiella from Gaeta


具を詰めるタイプのピッツァですね。
早朝に仕事に行くお父さんのために作った料理だけあって、家庭の温かさが伝わってくるような手作り感満載の一品。
手で持って食べて、日持ちするように作るので、具の汁気と生地の香ばしさの絶妙さ加減がポイント。
ティエッラの具、あれこれ。
具を詰めすぎると手で持てないし、この薄さがいいんですねえ、きっと。
 ↓


2枚目の生地をかぶせた後に、縁を作るのも忘れずに。
これもガエータのティエッラの特徴の一つ。
 ↓



こちらのwebページに、フェルディナンド4世とティエッラの面白いエピソードがありました。

それによると、王様がガエータを通りかった時、ある主婦がパン生地を作っているのを見て、急に空腹に襲われ(あるいは主婦の美しさに惹かれたのか・・・だって、プフ。)、お手伝いしましょうかと申し出た(きゃ~イタリア男~)。
いや~、ほんとにお茶目な王様ですねえ。
300年たっても、日本語のwikiにも、この言われよう。
すごいいじられキャラ。

実は、この人、女の子が4人続いた後にようやく生まれた長男、つまり王位継承者だったそうです。
そうとうチヤホヤされたんでしょうが、きっと、4人もいるお姉ちゃんたちだけは、彼にずけずけ文句が言えたはず。
多分、フェルちゃんはパシリ状態。
王様は、絶対お姉ちゃんたち(成人後は対象が美しい女性へと変化)に頭が上がらないですよ。

だから、そこら辺のおかみさんも、お手伝いを申し出た王様にちゃっかり、パン生地を薄く伸ばして型に敷き込むように指示する気になっちゃう。
王様も嬉々としてやっただろうなあ。
すると主婦は、そこに煮たスカローラとガエータのオリーブを詰めてガエータのとオイルをかけ、もう一枚生地をかぶせて閉じると、竈で焼きました。
あれ、これだと魚が入ってないんですけど。
まあ、スカローラと組み合わせる時はバッカラが定番のようだから、バッカラも入っていたかも。
ただし、王様のお気に入りの具は小ヤリイカだったそうです。

ガエータ市の公式認定料理として法理で認められていますが、リチェッタは家庭の数だけありますが、
とても詳細な、こちらのページのリチェッタを訳してみましょう。


ガエータのティエッラ Tiella di Gaeta
材料:
生地
 00タイプの小麦粉・・500g
 生イースト・・20g
 EVオリーブオイル・・大さじ3
 ぬるま湯・・200ml
 塩・・一つまみ
タコとイカの詰め物 小ダコ・・1kg
 イタリアンパセリのみじん切り・・1本分
 にんにく・・3かけ
 刻んだホールトマト・・300g
 唐辛子・・好みで
 EVオリーブオイル、塩
 白ワイン・・1/2カップ
玉ねぎ 玉ねぎ・・1kg
 卵・・4個
 おろしたパルミジャーノ
 スカモルツァかイートリ産チーズ
 EVオリーブオイル
 塩、こしょう
スカローラとバッカラ 柔らかいスカローラ(エンダイブの一種)・・2kg
 バッカラ・・700g
 にんにく・・3かけ
 唐辛子
 イタリアンパセリ・・1本
 ガエータの種抜き黒オリーブ・・300g
生地
・小麦粉、ぬるま湯で溶いたイースト、塩、油をこねてなめらかな生地にし、覆いをして発酵させる。
・生地の半量強を厚さ1㎝以下に伸ばし、油を塗った型に敷き込む。
・詰め物を入れて伸ばした残りの生地をかぶせ、縁をつまみながら閉じる。
・表面をフォークでピケし、油を回しかける。180度のオーブンで約30分焼く。
タコとイカの詰め物
・タコを浅鍋に入れて蓋をし、油や水は加えずに蒸し煮にする。冷めたら小さく切る。
・タコと他の材料を混ぜてなじませる。
玉ねぎの詰め物
・玉ねぎを薄切りにして油で炒め、焼き色がついたら溶いた卵、イタリアンパセリのみじん切り、油少々、おろしたパルミジャーノをかけて全体を混ぜる。
・仕上げに小片に切ったスカモルツァを加える。
スカローラとバッカラ
・スカローラを洗って粗粒塩一握りをまぶ゛し、重石をする。時々かき混ぜながら2時間漬けて絞る。
・ほぐしたバッカラ、刻んだにんにく、唐辛子、イタリアンパセリのみじん切り、オリーブ、油を混ぜる。これらとスカローラを 混ぜる。
・バッカラの代わりに、塩抜きして骨を取り、1日オリーブオイルに漬けたアンチョビでもよい。
 


には、小さな型で一人前サイズの、トマト、ゆで卵、ペコリーノ、生ハムの具のティエッラが載っています。
これも美味しそう。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年7月号、グルメ紀行“ガエータ”の記事は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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ピッツェリーア・デル・ポルト

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今日は、ガエータのティエッラがおすすめの店として『ラ クチーナ・イタリアーナ』誌が挙げている店のご紹介。

店の名はピッツェリーア・デル・ポルト。
webページはこちら

オーナーのカルロ・アヴァッローネ氏によると、20年前に店を始めた当初はピッツァを売っていたのですが、愛する地元ガエータの伝統食、ティエッラを出そうと思って、様々な家庭でティエッラを教わるところから始めたそうです。
今では、15種類のティエッラを店で出し、ティエッラの歴史を研究して、地元の子供たちに作り方を教えて、ティエッラの第一人者を自負しています。

スペチャリタは、ムール貝とズッキーニ、なすとプローヴォラのティエッラなど。
いずれも、“キロメートル・ゼロ”(地産地消)のものばかり。
大人気になって、レストランから外食産業まで、様々な人がコピーしようとしたけれど、成功したのは主婦だけだって。
いや~、この発想、斬新ですなあ。
長いことイタリア料理業界の発言を訳してますが、ここまで敬意と愛情を持って主婦の味を褒めた人はいませんよ。

タコのティエッラのリチェッタを公表しているので、訳してみます。
原文はこちらのページ


タコのティエッラ La Tiella di Polpo
材料:6人分
生地
 00タイプの小麦粉・・200g
 水・・1カップ
 塩、砂糖・・各ひとつまみ
 EVオリーブオイル・・大さじ1
 ドライイースト・・1/2袋
詰め物
 タコ・・300g
 完熟トマト・・80g
 ガエータのオリーブ・・80g
 EVオリーブオイル・・大さじ1
 にんにく・・1/4かけ
 刻み唐辛子・・1/2本分
 イタリアンパセリのみじん切り・・一握り

生地
・小麦粉と水に他の材料を1つずつ加えながら混ぜ、20分こねる。布巾で覆い、24度以下で3時間発酵させる。
・鍋にたっぷりの水を入れて沸騰させ、タコを入れて中火で最低15分ゆでる。蓋をしてそのまま冷ます。
・トマトを小角切りにし、ざるに入れて水気をきる。イタリアンパセリ、にんにく、唐辛子をみじん切りにしてトマトと混ぜる。オリーブとオリーブオイルも加える。
・生地を2つに分け、手と麺棒で厚さ3㎜以下に丸く伸ばす。1枚は直径30cm以上にする。
・直径28㎝の浅い型に油を均一に塗り、大きな生地を型からはみ出すように敷き込む。トマトとタコを詰める。
・残りの生地をかぶせて縁を指で摘まんで閉じ、油を塗る。200度のオーブンで20分焼く。


お弁当を作るおかあさんになったつもりで作りましょう。

岬の突端部分にある店です。
ガエータにお寄りの際は、ぜひ、テッラチーナの白ワインと一緒にタコのティエッラでも。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年7月号、グルメ紀行“ガエータ”の記事は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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フリウリ=ヴェネチア・ジューリアの料理

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今日は、フリウリ=ヴェネチア・ジューリアの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

フリウリ=ヴェネチア・ジューリアは、その名前からしても想像がつく通り、多様な州です。
イタリアの北東の端にあって、山もあれば海もある。
隣は、オーストリア、スロヴェニア、ヴェネチア、アドリア海。

州の大部分(96%)を占めるのが、ウーディネを中心とするフリウリ地方で、残りのヴェネチア・ジューリアは、端っこにある山菜のゼンマイみたいな形の部分で、第二次世界大戦後にイタリア領になりました。

ヴェネチア・ジューリアの中心地で東の国境地帯の街トリエステは、東西対立の狭間の微妙な位置で、かなり複雑に属する国が変わっていて、1954年まではイタリアじゃなかった。
スペインやフランスが入り乱れる南イタリアより、かなりグチャグチャの歴史です。

文化的には、スラブやハンガリーなど東ヨーロッパ、オーストリアなど中央ヨーロッパ、そしてヴェネトの影響を多大に受けている地方です。
人によって思い描くイメージもかなり違うと思いますが、あなたにとってはどんな州ですか?

1分で見るフリウリ=ヴェネチア・ジューリア。
 ↓



最初に取り上げるのは、一番北、ウーディネ県の山岳地帯、カルニア地方。
イタリア最後の山奥、カルニア料理のベストシーズンは冬なんだそうです。

紹介しているカルニア名物は、スペック、サウリスの生ハム、カルニア料理の王様フリーコなど。
 ↓


確かに、寒ーい季節だと一段と美味しそう。

この地方には、ケルト人の遺跡があります。
ケルト人は、豚肉を保存するために塩を使うことをヨーロッパ各地に広めた民族で、あまり知られていないけれど、イタリア料理の重要なルーツの1つでもあるんです。

ケルトというとエンヤ、アイルランドというイメージですが、ケルト人はイタリアまで来ていたんですねー。
その一番わかりやすい証拠が、生ハムです。
豚肉を保存のために加工する方法は、サラミ、腸詰め、スパイス漬け、スモークなどいくつかありますが、サン・ダニエーレやパルマの生ハムのように塩漬けにする方法は、ケルト人が伝えた技術です。

個人的にはイタリアのケルト人と言うと、自動的にグラディエーターの森の中戦いが浮かんできちゃう。


 

こちらは、カルニアのケルトの遺跡のある森。
映画の舞台そっくりでしょー。
こんな森でラッセル・クロウと戦うんじゃ、肉食べてないと力出ませんねー。
この次生ハム食べる時は、ケルト人の戦士になった気分でどうぞ。

と言うわけで、カルニア料理を知るには豚肉の加工品から。
次回はカルニアの豚肉の加工品の話。




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2011年7月号、“フリウリ=ヴェネチア・ジューリアの料理”の解説は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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ケルト人

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今回は、豚肉の保存食のお題の予定でしたが、ケルト人のことを調べだしたら面白くってやめられなくなりました。
ケルト人は、戦士、ウォリアー、バーバリアン、といった言葉で表されるファンタジー世界の登場人物そのもの。
戦闘民族、元祖肉食系、超カッケー。
イタリア料理のルーツとしても欠かせないものなので、この機会にケルトの世界にちょっと足を踏み入れてみまた。

『The Celts』2 ケルトの戦士



『The Celts』3 ローマとの戦い

 


北から南下したきたケルトと、南から北に向かったローマは、生き残りをかけてたかったんですねー。

『The Celts』1はこちら

ローマとケルトの戦いが舞台の2010年のイギリス映画『センチュリオン』のトレーラー
 ↓


こちらは2004年アメリカ映画の『キング・アーサー』。
アーサー王はケルト人だった。

とかにく謎めいたカッコイイ戦闘民族だったし、ローマ帝国の軍団と戦ったちゅーわけで、映画のネタは溢れてますなあ。

 さて、こんな人たちが、フリウリ地方のカルニアに住んでいたわけですね。
 こちらのページによると、ケルト人の食事は日暮れ時の一日一回のみ。
テラコッタや木の器に盛られた料理を手かナイフを使って、部族みんなで食べたそうです。

料理は肉が中心で、シンプルな串焼きか石焼、またはたまに香草を詰める程度。

肉は豚、牛、ヤギ、狩猟肉、家禽など、なんでも。
ピアディーネのようなスペルト小麦のパンも食べたらしいけど、これは狩りをしない女子供用。

ワインは丘陵地帯でギリシャから移民してきたアカイア人たちが作っていたらしいのですが、これを海水や水で割って飲んでいたんだって。
といってもワインを飲めるのはお客か戦士だけで、普段飲むのはケルト人とは馴染みの深いビール。

ちなみにアカイア人はチーズなど乳製品も作って、ケルト人と物々交換していたらしい。
彼らも肉食だったので、ケルト人の古い料理にはギリシャ料理の影響もみられるんだって。
ほー、ケルトとギリシャが出会って、そこにラテンがぶつかってきて北イタリアの料理のベースができたんですねえ。

塩は贅沢なので、調味に使うより、物々交換用の豚肉を長期間保存できるようにするために使われました。
これが生ハムのルーツです。

ケルト人がヨーロッパ中北部から移民を始めたのは紀元前2千年代前半から紀元0年頃の期間。

あっ、今、突然気が付いた。
カルニアcarniaですよ。
カルネcarneに似てない?
なんと、紀元前400年頃この地に移住したケルト人はカルニ族って言うんだって。
当然ながら、それがこの地名の元です。
でも、残念ながら、carneの語源はラテン語のcar-nemだっていうから、イタリア語の肉とは関係ないみたい。

チーズは、フレッシュなホエイタイプで、大きなお椀に入れて食べたんだって。
硬質チーズは移動時用。
なんだか、ケルト人の食生活を知れば、イタリア料理のルーツも、そこそこ分りそうですねえ。
面白そうだけど、きりがないので、今日はこのくらいにしときます。
次回こそは、カルニア料理の話。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2011年7月号、“フリウリ=ヴェネチア・ジューリアの料理”の解説は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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